「役に立つ山中貞雄」西山洋市トークatラピュタ阿佐ケ谷

第1話 みなしごと「経済活劇」〜『丹下左膳餘話 百萬両の壺』について〜 西山洋市

【第1話あらすじ】

 宮崎駿の『千と千尋の神隠し』は『丹下左膳余話・百万両の壷』に似ている。どちらもメルヘンだからだろうか?
 クリント・イーストウッドの『グラン・トリノ』は『河内山宗俊』に似ている。山中貞雄は『河内山』のプロットにジョン・フォードの『三悪人』を取り入れたそうだから、自然と似たのかもしれない。
 黒沢清の『トウキョウ・ソナタ』は『人情紙風船』に似ている。黒沢さんは山中貞雄の「逆手の手法」のような「いやだ」といっておいて次にはそれをやっているというような展開のさせ方を良くするからもともと山中貞雄が好きなのかもしれない。
 題名は思いつかないが、『戦国群盗傳』リメイク版は、ある種のマフィア物に似ている。アメリカ、イタリア、香港・・国籍は問わない普遍的な類似性だ。『ゴッドファーザー』もちょっと似ているが、コッポラは黒澤明(『戦国群盗傳』潤色)のファンだから当然かもしれない。最近の日本映画では『ゆれる』のドラマに一部類似したテーマが扱われていた。いや、似ている。

 山中貞雄は映画の語り手としての最高のテクニック(話術としての演出の)を持った名手と昔から言われていたが、実は典型的で普遍的(つまり全世界、全人類共通)な物語を作る人でもあった。『百万両の壷』が『千と千尋』に似ているのは、だから当然なんである。
 山中の一本一本の作品の物語は、続く作品に受け継がれさらに発展するかたちで、今回上映される4本の映画全体を通してある大きな一つの物語が語られている。その物語は、山中貞雄本人が映画を作ることによって生きた若い人生そのものの物語だ。山中貞雄はたった23歳で映画監督になり、たった29歳で死んだ・・山中貞雄はほんの20代の若者だったのであり、今回上映される監督作品3本は20代の若者が作った映画なのである。そこには当然のごとく20代の若者の人生そのものの痕跡が刻まれている。山中貞雄が生きて戦った、20代の若者の物語が、残された映画全体を通して語られてゆく。

 そのひとつひとつの作品の枠を超えた大きな物語を、上映順に一本ごとの物語を解説しつつ、上映全体を通して徐々に再構築して行きたい。最後に上映される『戦国群盗傳』リメイク版には、黒澤明の潤色によって山中のオリジナルのシナリオに少しだけ変更が加えられている。だが、その変更は決定的だった。山中が無意識に避けたと思われる決定的で本質を突いたアクションを黒澤明はずばりと見抜いて書き加えた。そのことで山中自身の手では未完のままであった物語は大きく展開した。それは、山中が心の底で苦しみ悩みながら願っていた展開であり、事態だったに違いない。

 上記のような山中貞雄の物語を構築するに当って、山中の映画のシナリオと演出のいくつかの特徴の分析から作品の構造をおおまかに浮かび上がらせて、そこから物語を読み取り、再構築して行きたい。
 今回、山中の物語を探る上で重要な山中の特徴とは、ひとつは「経済活劇」とでもいうべきドラマの構造の特徴である。山中の映画は経済(金銭問題)によって動き出し、経済の論理によって展開する。経済は世俗的な社会や大人の世界の端的な象徴として無垢な若者たちの生活と人生に抵触してくる。その摩擦がいやおうなく若者たちを通過儀礼の物語に引きずり込んでゆく。
 また「経済活劇」とは、山中の演出の特徴を示す言葉でもある。山中が「映画はスピードが生命」といっている、その展開(語り口)の経済性である。それは編集的なカットの構成上の問題だけでなく、役者の芝居、とくに「セリフ」の演出にも重大に関わってくることとして山中は捉えていた。山中貞雄は音のないサイレント映画から出発して、やがてやってきた新しいテクノロジーとしてのトーキーにおけるセリフのあり方を考え抜いた人たちの一人なのだ。
 山中の特徴のいまひとつは、作風の特徴、当時「マゲをつけた現代劇」と称された時代劇のあり方である。これは、ただたんに現代劇風のセリフ回しを導入したからとか、現代的な人物やテーマを扱っているからとか、の問題ではなく、山中貞雄の映画の構造や物語や演出に関わる重要なキーワードとして再考する必要がある言葉だと思う。山中にとって「時代劇」とは「マゲ」とは何物だったのか?

 山中貞雄の映画の物語を考えることは、山中貞雄の映画の人生を考えることにならざるを得ない。
 まずは『丹下左膳余話・百万両の壷』のみなしごの男の子、ちょび安の物語を通じて「壷」の意味の解読から始め、次回『河内山宗俊』のチンピラ広太郎の物語に繋げたい。
(西山洋市 2009/05/30)

※当日ご来場の皆さまにお配りしたテキストです。

予想以上にたくさん来ていただいて、僕としてもうれしいですし、山中貞雄の面白い映画をより多くの人に見てもらうというのが、今回の企画の第一の眼目だったので、初日でこの後どうなるかわかりませんけど、お友達やお知り合いの方に面白さをお話しいただけるといいんじゃないかと思います。
2、3日前から頭の中でこの映画の音楽がずっと鳴っていたんですよね。一番最初のスタッフとキャストのクレジットタイトルでかかる曲ですね。その後二人組の屑屋(くずや)が出てくるたびにかかったあの曲です。それがなぜか鳴り続けて。
大きい画面では久しぶりにたった今皆さんと一緒に見直してみたんですけど、やっぱり面白いですね。構成がもうきっちり出来上がっていますし、話の運びも、昔から言われている話の運びのうまさ、省略のうまさ、ギャグのセンスとか、それからまず役者が面白いですよね、大河内伝次郎もそうですけども、喜代三(きよぞう)さんですか、あの方は役者さんではなくて芸者さんだったらしいんですね、レコードも出している、あの唄は彼女の持ち唄かなんかだと思うんですけど、映画にはそんなに出たことないらしいんですが、凄くいいですよね、チャーミングで色っぽくてユーモラスで。ほかの役者さんもみな面白くて、だから何度見ても飽きないんですね。もう何度見たかわかりませんけど、やっぱり面白かった。
僕のことご存じない方が多分たくさんいらっしゃると思うんですが、映画を、一応映画監督というやつですね、仕事としては、映画を何本か作ってきました。自主製作映画みたいなものも作っております。ですから映画の研究家みたいなものではないので、作品の歴史的背景であるとか薀蓄みたいなものをあまり知りませんし、得意でもないんですけど、内容に関して、シナリオあるいは山中貞雄の演出に関する、内容に関してなら、僕が知っている今まで経験したことをもとにして、なおかつ山中貞雄の映画を見て、一番最初に見たのはだいぶ昔二十歳ぐらいの頃でしようか、それからずっと事あるごとに繰り返し見ているんで、それから本もいろいろ読んできました、伝記であるとか評論であるとか、少しは内容に関して話せると思いますので今から話してみます。

今日は1回目で『百万両の壺』について話しますが、第2週目『河内山宗俊』、3週目が『人情紙風船』、最後にリメイク版の方の『戦国群盗伝』、これは山中貞雄が脚本を書いて滝沢英輔さんという山中貞雄の仲間の監督が演出したものがかつてあったんですけども、今でもビデオで見れますが、それを1959年にリメイクしたものですね。ということは今年は山中貞雄が生誕百年といわれているのでちょうど50年前に、黒澤明が山中貞雄のオリジナルのシナリオを書き直してリメイクされた作品というのが今回上映する『戦国群盗伝』リメイク版です。
杉江敏男さんという、東宝の社長シリーズであるとか若大将シリーズとか撮っている監督さんが演出したものですね。杉江敏男監督は、昔山中貞雄に、学生時代ですね、インタヴューなんかしているんですね。そういう映画ファンの方だったんですね。まったくそういうことは知らずに杉江監督の映画を見ていたんですけれども。
山中貞雄は23歳で監督になって29歳で亡くなってしまった人です、で現在、監督した作品は3本しか残っていないんですね、今日の『百万両の壺』と次の『河内山宗俊』それから『人情紙風船』、本人が監督した作品はそれしか残っていない。脚本作品はほかにいくつかあるんですけども。でこの3本、たまたまこの3本が残っていて幸福にも見ることができるんですが、『百万両の壺』が1935年、『河内山宗俊』がその翌年、『人情紙風船』がまたその翌年1937年ですね。山中貞雄は1938年に死んでしまいました。戦争に行って病気になって。20代の若者ですよね。信じられない話ですけれども、23で監督になって29で死んだ若者がいたんですね、こういう映画を作った。それだけで感動してしまうような話なんですけども。
その3本を、あえてその3本を連続した映画として、なおかつ1959年に黒澤明によって若干改変されたシナリオで撮られた『戦国群盗伝』を入れて4本、これが連続したお話として、山中貞雄自体のことを語っているんだ、実は語っていたんだというのが、今回その4本を順に見て、順にその作品について話す上で考えてきたあらすじです、あらすじといっていいと思うんですけど。順に見ていくとそういったことがちょっと見えてくるんです。
昔の批評などを読むと、山中貞雄は今はもちろん評価の高い監督ですけれども、当時も天才と呼ばれてベスト10に選ばれて評価の高い監督ではあったんですが、一方で信じられない話ですがかなり批判をされているんですね、内容がないとか、思想がないとか、そんなことを言って山中貞雄を批判をしている。これ、昔の山中貞雄に関する批評が一冊の分厚い本になって出ているんですが、それをぱらぱらめくると、かなりの数そのような批評が書かれております、誉めている批評と、半々くらいと言ってもいいくらいの割合で批判されていたんですね山中貞雄は。山中貞雄自体もそのことを大変悩んで苦しんでいたようです、変わろうとしていたみたいですね、自分自身を変えようとしていたみたいです。
そういったことと併せて考えると、この3本の残っている映画が山中貞雄の、映画監督としての人生を変えようとした軌跡みたいなものとして見えてくるんですね、順番にじっくり見ていくと。
勿論単純に面白いんですけども、どの映画も、単純に優れた映画だと思われるんですが、なおかつ山中貞雄のことを考えたい、より深く考えたい、山中貞雄、29歳で死んでしまった若者が何を考えて何と闘ってきたのかということをですね、物語風に考えてみたいというのが今回の講演のコンセプトです。
ですから今日は、『百万両の壺』をネタにしてある程度その山中の作った物語、山中貞雄が生きた物語の出だしを語ってですね、第2話第3話と山中貞雄がいかに自分を変えようとしていったか、そして変わったか、ということをしゃべっていきたいと思います。

お配りした講演のあらすじの一番最初に書きましたけれども、もしかしたら面食らった方もいるかもしれませんけども、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』、あれが今日見た映画に似ていると、どこが?ともしかしたら思われるかもしれませんけども、そのどこがを今から話しますが、それが一つのポイントですね。
今日見たばかりですから皆さんよく覚えていると思いますが、「丹下左膳」と題名がついておりますけども、これ物語として、オーソドックスな古典的な物語として見ていくと、あれはお父さんを殺されてしまった安坊(やすぼう)というみなしごの物語なんですね。みなしごの成長譚といいますか、お父さんを失った男の子がどのようにしてそれを、悲しみを乗り越えていったのかという物語ですね。
これは何もこの映画に限らず、皆さんいろんな物語を思い浮かべると思うんですけども、映画に限らず、本であるとか漫画であるとか、そのタイプの話は多いと思います、それくらいオーソドックスな物語ですね。
『千と千尋』もそうですね、あれは女の子ですけども、両親と離れて異界に迷い込んだ女の子がそこでいろいろな経験をしたり、化け物めいたものに会ったりして経験を積んだうえで、生き返って、というか元の世界に戻って、成長していくという話になっていたと思います。それは世界各国にある民話であるとか物語には、定型としてそういうものがあるんですね。若者の通過儀礼の物語ですね。いっぺん死ぬなり死に近い体験をして異界に入っていって、そこで特殊な経験をして、化け物に会ったりとかね、いろいろ冒険などしてまた生き返って大人になっていくというお話ですね。童話であるとか民話には多いと思います、そういう話は。
ということは、父親を失って独りぼっちになった安坊が引き取られていったところは怪物の棲む異界です。丹下左膳は片目片腕の怪物です。そこで安坊は教育を受けたり試練を経て、成長をする、という物語になっています。

山中貞雄はもっぱら、昔から映画の語り、映画演出の語りの部分が言われるわけですね。流麗という言葉がよく言われていたようですけども、流麗な語り口とサイレント時代から言われていました。
『百万両の壷』を見てもそうですよね、物凄い快調なテンポでお話を展開させますよね。お話の途中経過を省略して時間と場所をポンと飛ばしたり、幾人かの人物たちのいくつかのエピソードを巧妙に縫い合わせたり、そういう語りと構成の技術、たぶん世界最高というか、ワン・アンド・オンリーと言ってもいいような技術を持ってらっしゃるんですが、演出的には、そこが言われることが多かったんですね。
それでさっきも言いましたように昔の批評を読むと、形式的な素晴らしさに比べて内容がない、貧困である、思想がない、ということを言われて無茶苦茶たたかれていますね。わずか二十…、今日の映画でも撮ったのが25ですから、25歳の若者がこれだけ優れた映画を撮って、なおかつたたかれなければいけないという、これはこれで試練ですよね、山中貞雄にとっては、非常な試練です。今日の安坊がこうむった試練に匹敵するような試練を受けていたと思うんですね。映画という異界で。
一方そういった物語に対して、物語の構造自体に対して山中貞雄が非常に敏感で、彼が語る物語が誰にでもちょっと心当たりがあってなるほどと思えるような、これは日本だけではない世界的にいっても普遍的であるような物語の定型を使って映画を作っていた、ということ自体は忘れられがちだったようですね。昔の批評にそういったことが書かれたものは見受けられませんでした。もっぱら外国映画の影響であるとかね、何々をぱくったとか、真似をしたとか、そういったことばかりを指摘されるんですけども、それによって山中貞雄が真に創造していた物語がどのようなものであったのかということが全然いわれていませんでしたね。
『河内山宗俊』もそうですね、今日の安坊の話の続きが語られているとみていいような部分がバーンとあります。広太郎(ひろたろう)という少年の話になっています。それからその次の『人情紙風船』、これはもうちょっと大人になった、中途半端に大人になってしまった二人の男がどのようにして、ある試練、状況を突破しようとしてなおかつ失敗したか、というさらに『河内山宗俊』の続きのような物語が展開されています。山中貞雄はそこで死んでしまったのでその先を描きたくても描けなかった。
その先をやってくれたのは黒澤明だったわけですね。『戦国群盗伝』において、山中貞雄が無意識のうちに避けた芝居を黒澤は見抜いて、そこを、たくさんの改変は行っていないです、的確に何箇所か変えただけなんですけども、決定的な変更を行っております。これはネタばれになるんで今日言いません、ぜひ見てください。非常に面白い映画です。滅多に上映されないようですけど、とっても面白い映画だったです、三船敏郎が傑作です。

というような流れで話を展開させる予定ですが、まず『百万両の壺』に関して、山中貞雄の演出とかシナリオの特徴から話をすると、「経済活劇」、これは僕が作った言葉ですが、金銭問題、金銭がからんだ問題、それからそれによる経済原理ですね、ある種の。お金をなくしたらそれを埋め合わせなければいけないとかね、誰かに取られたら取り返さなければいけないというような経済原理によって物語が展開していく。これを「経済活劇」と呼んでみます。
これは『百万両の壺』だけではなくて『河内山宗俊』もそうなっていますし、『人情紙風船』にもそういう要素があります、それからそのバリエーションのようなものが『戦国群盗伝』でも描かれています。
『百万両の壺』に関していうと、いきなり冒頭に百万両ですよね、百万両あるんだぞ、隠してあるんだぞ、これインパクトありますよね、物語のつかみとして。途中で丹下左膳も言ってましたよね、「この世知辛い世の中に百万両とは」みたいなことを言って、「金の話と喧嘩の話は大きい方が面白いんだ」と言ってましたね、そのとおりのことがこの映画では行われているわけなんですが。
百万両っていくらなんでしょうかね。いきなり百万両から始まって、ところがそれがなくなってしまった、その隠し場所が書かれた壺がなくなったと。どこにあるのかといったら、弟の柳生源三郎(やぎゅうげんざぶろう)の所にある、結婚の引き出物としてある、というんで一斉に部下たちお侍さんたちが、江戸に向かって出発するわけですね。一挙に物語が動き出す、百万両の力で。
ところが江戸の弟の所にある壺が、江戸では三文と言われましたね、どう見てもみすぼらしいから、引き出物としてもらった弟夫婦によってそうお金に換算されるんですが、三文の結果どうなったかというと、くずやに持って行かれるわけですよね、払い下げられてしまって。
それが結局、くずやさんと同じ長屋にいる安坊の手に入ってしまう。しかもそれは百万両の壺としてではなく、たんに金魚鉢としてですよね、壺としては何の値打ちもないものとして安坊の物になってしまう。以後安坊がその壺をずっと持っていて、柳生源三郎さんもその壺を探すんですけれども、すぐ脇にありながらも気づかない状態がしばらく続いて、これがとても面白いんですが、でいろいろあってやっと、あれが百万両の壺だったんだということがわかるわけですよね。
そこでいっぺん話は終るんですね。あっ見つかったということで、話はいっぺん終わって、物語も落ち着くんですけれども、その次に物語が動き出すのが、どういうきっかけだったかというと、今度はあの壺を探している柳生の里から来た連中が、あの壺に、いや、くずの壺を集めるために、壺一つに一両という値をつけましたね。あの貼り紙、一両という値段を書いた貼り紙によってまた物語が動き始める。
やっぱり今度は一両という金額で動き始めましたね。一両ってどのくらいかというとものの本によるといろいろ変動はあるみたいですけども、今の貨幣にして7万円から10万円と書かれてました。結構なもんですよね、7万から10万であのぼろい壺を買い取ってくれるとなると、そりゃたくさん集まりますね。今日の映画でも物凄い数、最後に、壺が出てきましたから。
あれ実際、映画の監督として思うのは、あんなに一杯、壺どうやって集めたんだろうと気になりますよね。作ったのか、それともああいった壺、何か古道具屋か何か回って集めてきたのか気になりますよね。何個あったのでしょうかあれは、膨大な数、あれ集めるだけでも大変な手間とお金がかかる。恐ろしいことですよね。映画のお話としては小規模なお話だったんですが、最後にああいうクライマックスを用意するというところが、山中貞雄の活動写真の根性みたいなものを見る思いがします。
脱線しましたけれども、一両でもってあの壺を、安坊が持ってる壺を丹下左膳が売ろうとするんですね、そこから安坊の物語もまた動き始めるわけですね。
もう一度『千と千尋』に戻って話をすると、安坊は親を失ってあの異界にやってきた心細い子供のわけですね。お父さんは死んでしまってとても悲しい、これから一人で生きて自立して生きていかなければならない。普通の人生でいうと親離れの時期とちょうど物語的に符合するように作られていると思うんですけど、親を離れて一人で生きていこうとする男の子。その場合に心理学の方でいう移行対象という言葉があるんですけど、移行というのはどこかに移動するという意味ですね、移行する対象という意味ですけれど、あの壺が移行対象になっているように見えます。移行対象というのは何かというと、そういう親から分離しようとしている子供が不安であったり悲しみを紛らわせるために、たとえば人形であるとか熊のぬいぐるみであるとか何かしらおもちゃであるとかビー玉であるとか何でもいい、子供によって違うんですけど、そういったものを常に身につけて離さないというような時期があるという心理学の研究がある。「チャーリー・ブラウン」でいうライナスという一番歳下の男の子がずっと持っていた毛布みたいなものですね。だから「ライナスの毛布」というふうに心理学の方では言われるらしいんですけども、親から分離するときにそういったものに子供がすがる、身につけたり持ち歩いたりして、ある一時期を過ごすことによって親から分離していく。
あの百万両の壺がちょうどその役割を果たしているように見えるんですね、この映画を見ていると。金魚鉢ですけれども、ですから金魚と一緒になっているんですが、お父さんが生きていた頃に手に入ったあの壺をあの子はずっと持っていましたよね。若干新しい生活に慣れて寺子屋とかに通い始めて、ちょっと悲しみが薄らいだかなと思う頃になると、ちょっと手から離したりしますね。もうあれを持たずに学校へ行くみたいな状態になっていました。
ところがそれをもう一度持つ。それを持たざるを得ないようになるのが、左膳が壺を一両という金で売ろうとした結果、それで手に入った小判をもらった安がそれをメンコとして使ったがために、あの両替屋の子から六十両という金を、六十両って凄いですよね、一両10万円として600万円ですか、大変なことですね、大変なことをしでかしてしまうんですね、安坊は。左膳があの時に、やっぱり売るのやめようとなったときに、安坊から一両をすぐに取り返しておけばよかったんですけど、それをしないで、お上さんからもらった一両をわざわざ持って行くというような、まわりくどいことをしてしまったがために、あの安はそういう損害を両親、擬似的な両親である丹下左膳とお藤さんに与えてしまう。その結果トラブルが起こって、安はそこで大人の世界を垣間見たわけですよね、世俗的な世界をね。メンコにすぎなかった一両という小判が実はそういう大変なものだったと知る、世間を知る、大人の世界を知るということですね。両替屋のおやじは子分を連れて怒鳴り込んできて大変な騒ぎになった。物凄い大金ですからそれを返すのも大変だし、返せないとまた大変なことになる。これが世間なんですよね。世間を安坊はそれで見た。その結果安坊は再びあの壺を持って家出します。もう一回あの壺に頼らざるをえなくなったんでしょうか、壺を持って出かけていきます。その後左膳に連れられて賭場に行くんですけども、賭場でもまだ持っていましたね、持ったまま賭場へ行きました。その後帰り道で左膳が人を、敵を一人切ります、そのときも持っていました。そのように安坊としては自分のちょっとした悪戯でもって世間を知ることになって、なおかつお金を稼ぐことがいかに大変なことなのかという大人の世界を見ることになるんですね。それによって左膳が道場荒らしに行くというあの素晴らしいシーンもそのために出てきたシーンですね。あのロングショット一発で、木刀でもって4人5人のあの道場の門弟を片手で叩きのめしていきますね。あの素晴らしい立ち回りが、唯一無二ですね、あの立ち回りはほかのどの映画にもありません、ワン・アンド・オンリーですね、この映画でしか見れません。それが見れたということで客としても喜ばしいんですが。
で安坊が結局、壺を自分の力、考えでもって売り払いに行くわけですね、それが一両になるということを知って売り払いに行く。安坊としてはそれによって移行対象から自ら分離して、一人で生きていこう、というふうなことを決心したんだと思います。そういう物語なんですね、実は、『百万両の壺』の壺の意味はそういったところにもあるわけです。

これがいかに『河内山宗俊』の不良少年の話、不良少年の通過儀礼の物語につながっていくかといったことは、『河内山宗俊』のときにまたお話ししますので、興味のある方はまた来て見てください。
ただこの『百万両の壺』は、『千と千尋』であればそういう通過儀礼を終わった少女はまたもとの世界に戻っていくんですけれども、多くの物語はそのようになっているんですが、この『百万両の壺』は戻っていく前に終っていました。あの異界で幸せになって、百万両の壺も彼の手に戻って、めでたしめでたしで終っていました。安坊がこの異界から、丹下左膳という怪物がいる異界から、もとの地上に、自分のもとの生活圏に戻ることなく終わっていました。そこが『百万両の壺』のある種の限界でもあったと、とりあえずは言っておきます。ただだからこそこんなに幸せな映画になり得ているんだとも言えるわけで、ただ山中貞雄はその幸せ、メルヘンの幸せに自覚的だったと思います。
次の『河内山宗俊』ではその幸福なメルヘンの世界から自ら離脱しようとして、つらい試練を少年に課していきますね、それから人も死にます、そのために。そういう世界を描くことを山中貞雄は選択していきます。『河内山宗俊』は前半は『百万両の壺』のような幸福な映画ですけれども、後半は『人情紙風船』のような暗くて厳しい映画になっております。ぜひ『河内山宗俊』を見て、山中貞雄が語ろうとしていた物語の続きをつきあって見てあげてください。

(2009年5月30日 ラピュタ阿佐ヶ谷にて)

『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』
1935年(昭和10年山中貞雄26歳)/日活京都/92分/監督・構成:山中貞雄/撮影:安本淳/美術:島康平/音楽:西梧郎/出演:大河内傳次郎、喜代三、澤村國太郎、花井蘭子、深水藤子、宗春太郎