「役に立つ山中貞雄」西山洋市トークatラピュタ阿佐ケ谷

第4話 山中貞雄の悪の感性 〜『戦国群盗傳』について〜 西山洋市

【第4話あらすじ】

『百万両の壷』で描かれた子供の親離れ、『河内山宗俊』で描かれた象徴的な父殺し。
『河内山』の次に書かれた『戦国群盗傳』オリジナル版でも父殺しは描かれる。だが、それは迂遠なやり方でしか行われなかった。山中がそれを直接的に描くことを躊躇っているように思われるのは、次に撮られた『人情紙風船』で見たとおり、引き続き父親的なものとの葛藤を描きながら、主人公たちはなし崩しに、諦めとともに自滅して行ったように描かれていたからだ。
『戦国群盗傳』リメイク版では、山中が躊躇って描けずにいたテーマを黒澤が書き直し、ハッキリ描いたことで、山中貞雄が求めていたもの自体がハッキリした。それは「悪」を描くための言葉である。
『戦国群盗傳』リメイク版は、精神分析的な若者の成長譚として見れば今回、山中の監督3作品をとおして見てきたテーマの延長上にあるが、一方で権力闘争の劇を通して人間の悪を描いている。山中の映画作品でも、オリジナル版のシナリオでも描かれなかった「悪」である。

山中は「現代劇」を撮ることを恐れたが、それは慣れ親しんだ「時代劇」の言葉では「現代劇」を撮れない、「現代劇」を撮るためにはそのための新しい映画の言葉を獲得しなければならない、そのことの不安と恐れだった。だが、「現代劇」とは大雑把なくくりに過ぎない。より具体的に言えば、山中は、自身の新しい映画を作るために人間の「悪」を描く、描ける新しい言葉を必要とし、それを見つけられずにいたのである。
 いかに無残に暗く見えようとも『人情紙風船』の言葉は小市民的な「マゲをつけた現代劇」の範疇をでないものだったし、山中は痛いほどそれを自覚していた。「『人情紙風船』が遺作でチトサビシイ。負け惜しみに非ず。」と。人間の暗さは描けたが悪はまだ描けずにいた山中は、そういう限界の中にいる自分を殺した。悪を描くための新しい映画の言葉を獲得するために。それが山中の新しいステージになるはずだった。

 山中には悪に対する志向性は十分にあった。例えば山中は「長十郎を南北の悪に使ったら面白いと思うけどな」と発言している。さらに「直助権兵衛にしても、民谷伊右衛門にしても、今の僕等に同感出来る性格や。近松を、「油地獄」でつくづく読み直したが、やはり、与兵衛なんてのは今の不良青年に共通した性格に描けている」と。
「長十郎を南北の悪に使う」というのは具体的な「映画の言葉」の一つである。だが山中はそういう言葉を使うことなく死んでしまったのだが。
 また、南北や近松の人物を「今」、つまり「現代劇」で使える人物として見ている。山中にとって「現代劇」と「悪」は繋がっている。もちろんすべての現代劇が悪を描くわけではない。だが、山中には、それは映画の新しいステージと言う意味で繋がっていたのだ。
 さらに言えば、山中は「性格」と言っている。人物を「心理」ではなく「性格」として描くのが山中の映画の言葉の簡潔さの一つの秘訣だと思う。

 1961年。甥の加藤泰が『怪談お岩の亡霊』を撮った。
(西山洋市 2009/06/20)

※ 当日ご来場の皆さまにお配りしたテキストです。

今日で4回目なんですけども、ついに山中貞雄本人の映画ではない、しかもリメイクということで、いかがでしたでしょうか、これは1959年の映画なんですけれども、山中貞雄が生きていればちょうど50歳のときですね。もとの映画、山中貞雄がシナリオを書いたもとの『戦国群盗伝』が1937年だったかな、今回上映した映画でいうと『河内山宗俊』と『人情紙風船』の間に作られた映画ですね。だからその時期に山中貞雄がシナリオを書いたということなんですけれども、監督が滝沢英輔という山中貞雄の仲間でした。鳴滝組、ペンネーム梶原金八というシナリオチームの仲間の監督です。
今回のリメイク版で潤色というふうにクレジットが出てましたけれども、黒澤明ですが、潤色というのは脚本とか脚色というのとはちょっと違って、すでにある脚本を、簡単に言うと整える、軽く手直しするということだと思うんですが、だから大幅の改変は行っていません、ほぼもとのシナリオどおりです、ディティールを若干変えているんですが。そこで黒澤明が、ある山中貞雄はやらなかった決定的なアクションを書き加えております。それは後ほど話しますけれども。

黒澤明はこのリメイク版では潤色ということになっておりますが、もとのオリジナル版の方は助監督をしていたそうです、1937年ぐらいですね、まだ20代だったと思いますけれども。ちなみに黒澤明は山中貞雄と一つしか違わないんですね、一つといっても、山中貞雄が11月生まれだったかな、黒澤は3月生まれですから、もしかしたら学年的には同じかもしれません、今と少し違うのかもしれませんが、その程度しか違わないんですね。黒澤が助監督をしたとき山中貞雄がPCLという今の東宝の前身の会社ですけどそこにいて、ふぐを御馳走になったりしたようですね、交流は確実にあったようです。もちろん『戦国群盗伝』の助監督をしたんですが、もとのオリジナルのシナリオに関して、「山中貞雄の才能がところどころできらめいていた」というような感想を残していますね。ところどころと言っているところが微妙なんですけれども、また監督である滝沢英輔さんの作品よりも、これは言っては悪いんだけども、現場のほうが面白かったと黒澤明は言ってるみたいですね。それはどう面白かったのかというと、富士の裾野、広い荒野に戦国時代の扮装した人物たちがたくさんいて、しかも馬がたくさんいる、そのこと自体ですね、助監督としてその現場にいてそれを目の当たりにした黒澤明は、その風景自体に深い感銘を受けたといっております。
後々黒澤明はその感銘を自分の映画の作品として具体化していくわけですね、『七人の侍』であるとか『蜘蛛巣城』とかそれから『隠し砦の三悪人』みたいな映画ですよね。馬が出てきて野武士がいて甲冑を着た武士たちがたくさん出てきて戦うという、要するに江戸時代の話ではない、それよりも先の話、戦国時代、日本の中世の話、黒澤明はどうもその中世の日本人のあり方に引かれるようなところがあったみたいで、それがもとからあったのかどうかはわかりませんが、確実にオリジナル版の『戦国群盗伝』の影響は受けているようです、本人がいっているように。
今日また改めてこれを見ていると、黒澤明が潤色に加わっているとはいえ、ほぼストーリー、内容的にはオリジナルのままなんですね。それで不思議な感じがするんですけれども、もともとのシナリオにすでに黒澤明の映画のいくつかの要素が、先取り的にといいますか、どういえばいいんでしょうか、偶然といったらいいんでしょうか、織りこまれていたんですね。
今いった戦国時代の鎧を着た武士たちのイメージ、それとは別に一番決定的に僕が感じたのはあの兄弟のあり方ですね、鶴田浩二と平田昭彦、弟の方が平田昭彦、太郎と次郎のお話、これ何かに似ていますよね。時代劇ではないんですけれども、あの人物のあり方というのが何に似ているかというと、『野良犬』のあの刑事と犯人のあり方とほぼ同じと言ってもいいと思うんですけど、同じ人間の明るい側面と暗い側面ですよね。お互いがお互いに、自分がそうなっていた可能性があるような存在ですね。片方は刑事になって片方は犯罪者になってしまった、その二人が相争うという話。しかもそこに、その刑事にとってはほぼ父親といっていいような存在の先輩の刑事が出てくる。今回もお父さんの役をやっている、殿様の役をやっている志村喬の刑事が出てきました。志村喬は『野良犬』でも犯人の男に撃たれますね、殺されはしませんでしたけど、というような状況が起こっている。同じ人間の二つの側面というのはむしろ『野良犬』の場合に今までよく分析されてきたことなんですけれども、サニーサイドとダークサイドといいますか、それの原型みたいなものがこの太郎と次郎によって描かれていました。
これはもともとの山中のシナリオにもあったものなんですけれども、今までのつながりでいいますと、山中の映画ではあまり言われてこなかったことなんですが、ある若者の成長物語みたいなものが描かれてきています。子供の親離れであるとか、『河内山宗俊』であれば若者の通過儀礼、そこで象徴的な父親殺しが行われているという話をずっとしてきたわけなんですけれども、『戦国群盗伝』のオリジナルでいうと、『河内山宗俊』の後に作られたオリジナル『戦国群盗伝』では、あの弟の父親殺しが描かれていませんでしたね。今回のリメイク版では弟が直接手を下してますね、崖の上で父親を突き落とすという直接的な父親殺しが描かれていますけれども、オリジナル版ではこういう直接的なシーンではなかったんですね、部下にやらせてました。部下と一緒に父親が馬の遠乗りに出て、そこで部下が父親を、殿様を崖から突き落とす、そして城にもどって殿様が崖から落ちましたと報告するというように、ちょっと直接的ではなくて間接的なアクションになっていたんですね、オリジナル版ではね。それを黒澤明が本人が直接やるように書き直してます。これがオリジナル版とリメイク版の決定的な違いで、黒澤の書き換えたものによって、より直接的に、直接殺しているわけですから、親殺しを描くというふうになっている。これは確実に、今まで話してきました山中貞雄のメインの物語ではないけれど、メインの物語と併走的につねに描かれている子供なり少年なり若者なりの親離れ、象徴的な父親殺し、あるいは父親的なものとの葛藤、その延長線上にある物語を黒澤明がより鮮明にしたということだと思います。
おそらく黒澤明は山中貞雄の映画を見てある程度影響を受けていると思うんですね。それは『姿三四郎』みたいな黒澤明のデビュー作を見るとその語り口はもう明らかに山中貞雄の語り口だとバッと誰が見てもわかるようなスタイルになっているんですね、そういうこともありますし、さっきもいったように山中と同じ会社にいてつきあいもあった、それから『戦国群盗伝』の助監督をしていることも無関係ではないんですけれども、山中が亡くなって、生きていれば50歳のとき、ですから黒澤明が49歳のときですね、もしかしたらもう50になっていたかもしれませんが、そのとき『戦国群盗伝』を作り直すということになるにあたって、黒澤がシナリオにほどこした決定的なアクション、それがあの父親殺しの場面なんですね。父親が崖から落ちていく姿まで杉江監督は撮っておりましたけれども、それによってよりあの二人の兄弟のあり方が鮮明になってくるんですね。
もう一つは『蜘蛛巣城』の様相が濃厚に入っていますよね、濃厚に入っているというのも変なんですけども、もともとあったものなんで、どちらかというと黒澤がそれに影響されて「マクベス」を映画化しようとしたんでしょうけれども。つまりあの弟には山名兵衛(やまなひょうえ)というダークな部下がついていましたね、河津清三郎さんがやってますけれども、平田昭彦と河津清三郎のあのダークなコンビというのはこの映画の見所の一つだと思うんですが、しびれますよねあの黒い二人には。一方に鶴田浩二、明るい、目張りなんかいれていかにも鶴田浩二はさわやかに出てきてさわやかに戦っているんですが、それとコンビを組むのが三船敏郎なんですね。もう三船敏郎はなんていうんでしょうね、これはオリジナルのシナリオとほぼ変わっていないんですが、まるで三船のために書いたみたい、としか思えない役なんですよね。オリジナル版では『人情紙風船』に出てた『河内山宗俊』にも出た前進座の中村翫右衛門がやっているんですが、明らかに三船の方が面白いですね。三船は弾丸よけたりしてましたね、驚くべきシーンだったんですが、ヒョイとよけてジャンプしてよけて、シナリオに書いてあったのかどうか知りませんが、オリジナルにはありませんでしたね、脱出するシーンはあったんですが。あれ三船がやるともう確実に「あっ、よけた」と納得しますよね。
つまりコンビネーションが二つできるんですよね、暗い方と明るい方と。一方で、父親殺しであるとか兄弟間の嫉妬や羨望とは別に、権力闘争の話が入ってきていて、これは今までの山中の映画にはなかったものなんですけれども、つまり精神分析的な若者の親離れそれから父親殺しとは別に、権力闘争の話、ここではどうしても人間の悪みたいなものを描かざるをえなくなるわけなんですよね、それを山中は、その父親殺しも部下にやらせるみたいな感じでちょっと遠まわしに描いていたんですね。その部下にやらせたのも山名兵衛だった、で弟は知らなかったというふうに描かれているんですね。若干きれいごとにしようとしている節があって、今回のように直接的に、まあ彼も操られてはいるんですけど、平田昭彦さんも河津清三郎に操られてはいるんですが、直接自分で手を下す、というふうに変えている、変えることによってダークサイドとサニーサイドの対象がくっきりする。くっきりさせるというのが黒澤の一つの映画的な手法の、いつもそうなんですけれども。
そこでわかってくるのが山中貞雄が、つまり今まで山中貞雄は一見悪をちょっとだけ描いているように見えてたんですが、実をいうと描ききれていなかったんだということがはっきりわかるんですね。前回もお話したように山中貞雄が使っていた映画の言葉というのは、ベースは時代劇の、ちょっと古い時代劇の言葉なんですね、ですから悪役の描写も若干古い。古いキャラクター、人物像を踏襲したその範囲内で描いています。髪結新三と対立した親分もそうでしたし、『河内山宗俊』に出てきた殺された親分もそうでした。悪役ではあるんだけれども現代的な悪人とはちょっと違う、古いタイプの型どおりの悪人ですね、それが山中貞雄が使っていた映画言語なんですね。そこに山中の限界があったし山中は自分で気付いていたと思います。ですからそこを描ききれない自分にいらだって、それから新しい、新しい人間を描くための新しい映画言語を獲得しようとして悩んでいたんだと僕は作り手として想像しています。
人間を描くということは、たとえばコメディであるにしても、やはりどうしても悪の領域に踏み込まないことには十全に人間を描くという状態には至れないと思うんですね。たぶん山中貞雄が現代劇に進もうとしていた、あるいは新しい時代劇を創ろうとしていた、そのときにあの『丹下左膳余話・百万両の壷』『河内山宗俊』『人情紙風船』という流れを見てくると、さらにこの『戦国群盗伝』のような内容を見ると、山中貞雄が人間の悪を描こうとして、悪を描くための、新しい思想なりそれから映画の言葉なりを獲得しようとして、失敗していた、うまくいかなかった、まだできなかった、それは痛いほどわかるような気がします。今回の黒澤明のこの山中のシナリオの改変を見てもそのような気がいたします。

そもそも山中貞雄には、悪というものに対する感性はあったんですね。で山中の映画、ほっとくと暗くなるといわれています、一緒に仕事をしていた三村さん、三村伸太郎、脚本家の、が言ってますけど、山中貞雄の暗さ、あの『人情紙風船』の暗さ、一緒に脚本書いた三村伸太郎も驚くほどのものでした。その人間の暗さみたいなものを、山中貞雄は人間の虚無感みたいなものとして内に抱えていたと思うんですけど、それを人間の悪として描くところまではいけなかった。
ただ山中貞雄は、たとえば鶴屋南北の「東海道四谷怪談」に出てくる民谷伊右衛門(たみやいえもん)であるとか直助権兵衛(なおすけごんべえ)のような悪人を現代的な悪人として共感できるというふうに言い残してますね。それから近松の「女殺油地獄」に出てくる与兵衛(よへい)という、非常にハードな不良少年が出てくるんですが、それに対しても現代的であると言ってます。実際山中はちょうどこれと同じ時期ぐらいに『女殺油地獄』のシナリオ書いているんですね、人のためにですけれども、藤田潤一監督という人のために『油地獄』のシナリオを書いているんです。そのシナリオ自体どうも残っていないらしくて、僕が読んだのはあらすじだけなんですが、あらすじを読んでみるとですね、もともと「油地獄」ではその与兵衛という不良少年が、金に困って家の近所の顔見知りの美人の人妻にせまった挙句殺すという、ひどいことをしているんですね、そこがその映画のクライマックス、「油地獄」という油まみれの殺しのシーンがあるという。これはもともと人形浄瑠璃で歌舞伎にもなっているんですけども、それを山中がシナリオにしていると聞いてちょっとびっくりしたんですけど、実際そのあらすじ読んでみたら、これはもとの「油地獄」とだいぶ違うんですね。まずその近所の奥さんを人妻でなく幼馴染に変えているらしいんですが、ここでまずちょっとグレードダウンですけども、その幼馴染に金を借りに行ったらすでにその女はその店の番頭と心中をして死んでいた、でたまたまそこにいた与兵衛が幼馴染を殺した犯人と間違えられて追われるという、今まで山中が無声映画時代にたくさん書いてきた股旅物、やくざ物の通俗的なシナリオとほぼ同じようなレベルの話にしてしまっているんです。これ山中が好んでしているのか、それとも何かの事情、あるいは会社の注文であるとか監督の注文であるとか、あるいはもしかしたら当時映画ではそういう凄惨な殺しの場面、もしかしたら描けなかったのかもしれないんですけれども、とにかくそういうふうに改変してしまったらしいんですね。つまり山中貞雄は自分でも共感できているし、それがどういうものかを確実に知っている悪を、自分自身では表現することがそのときもできなかったんですね。
山中貞雄はインタビューで「長十郎を南北の悪に使ったらおもしろいと思う」ということを、ポンと言っているんですが、南北の悪というのはつまり民谷伊右衛門みたいな悪ですよね。「四谷怪談」、映画でたくさん作られてるんで民谷伊右衛門というのはどういうキャラクターかは皆さんご存じだと思うんですけども、民谷伊右衛門の非道さというのは皆さんご存じだと思うんですが、あのような悪を長十郎を使って撮ったらおもしろいんじゃないかというふうに言ってますね。長十郎というのは『人情紙風船』に出てきたあの浪人者の海野ですけれども、彼を使って南北の悪を描く、これは一つの山中の映画言語、新しい映画言語、新しい映画の領域に踏み込むための一つの具体的な映画言語とみなしていいと思います。残念ながらそれをやる前に死んでしまったんですけれども。山中がそういう人間の悪を描く、南北や近松が描いたような凄まじい悪を描くというところまで、山中にはいく可能性があったんですけれども、それをどのように映画にするか、どのような映画言語をもって描いていくか、山中はたぶん相当考えていたと思います。ただそれを実現する前に本当に死んでしまったんですね。
で象徴的だと思ったのが今日の映画を見ていて、途中で太郎に当たる人物が生まれ変わったというところがありましたね。俺は死んだ、生まれ変わる、別人として生まれ変わるといっています。そのときに目覚めるともいってました。山中もおそらくそれを望んでいたと思います。『人情紙風船』で死んだあの二人の人物は山中だと僕は思ってますし、先週もそう言ったんですけれども、映画の中で山中貞雄は自分を殺してもう一度、悪を描くための、新しい映画を描くための、現代劇を描くための、新しい映画言語を持った映画監督として生まれ変わろうとしていたんだと思います。それができなかったのはとても残念なんですけども、黒澤明が若干それをやってくれました、それが今日の映画です。山中貞雄にはその可能性があったということを、黒澤明が、それから杉江敏男監督が、見逃さずにこのような形で映画として作って残してくれたことを、とても貴重なありがたいことだと思います。
それからついでに言うと、山中貞雄の甥の加藤泰が、この映画は59年ですが、61年に「四谷怪談」映画化してますね、『怪談お岩の亡霊』という、若山富三郎の伊右衛門、近衛十四郎の直助という組み合わせで、山中が描けなかった悪を描いていると思います。もし興味がある方は、これは見ることができると思いますので、ぜひご覧になってみてください。

ということで4回続けて話してきた山中貞雄、山中貞雄の映画で描かれていた若者の成長譚がどこに結びつくかというと、新しい映画を作るために生まれ変わるという、一度死んで生まれ変わって成長する、という山中貞雄の自身の姿とだぶっているということ、それはすべて山中が新しい映画の言葉を獲得するためなんだ、というその一点を目指して話してまいりました。
それからついでに、映画を作ってらっしゃる方も何人かいらっしゃると思いますのでいいますけど、ここに書いてある山中の文章の中で、「民谷伊右衛門にしても今の僕らに同感できる性格だ」といってますね。それから「与兵衛も今の不良少年に共通した性格」、性格という言葉を二度使ってますけれども、山中貞雄の人物の捕らえ方というのは心理ではないんですね、性格として人物を捕らえている、ですから心理的な説明は極力省く、というのが山中のスタイルだと思います。これは心理を描くとですね、前にも話しましたけども、台詞と台詞の間が長くなったり、顔やちょっとした仕草というような心理描写の表情が1秒、2秒つけ加わることによって全体として場合によっては20分から30分まったく同じシナリオで撮っても長くなってしまうくらい、これは経済的ではないんですね。もちろん必要な心理描写というのはあるんですけれども、山中がいっているように極力無駄を省くべきだということの一つはこの心理描写にも当てはまると思います。山中は台詞のことをいってるんですが、心理描写もその一つだと思います。山中が描こうとしているものは心理ではなくて、その人間の人物の性格そのものであって、これはもう説明ではないんですね、心理の場合は説明に陥りがちなんですけども。それが山中貞雄の映画が80分から90分で全部完璧に語られているという、あのスタイルの演出上の秘訣だと思います。

(2009年6月20日 ラピュタ阿佐ヶ谷にて)

『戦国群盗傳』
1959年(昭和34年)/東宝/115分/監督:杉江敏男/原作:三好十郎/脚本:山中貞雄/潤色:黒澤明/撮影:鈴木斌/美術:北猛夫/音楽:団伊玖磨/出演:三船敏郎、鶴田浩二、司葉子、上原美佐、志村喬、千秋実、平田昭彦、河津清三郎