1952年、松竹が「シスター映画」なる中篇映画の製作をスタート。上映時間4、50分の作品で、これを併映作にして二本立て封切りが行われました。呼び名は姉妹篇を意味するSister Pictureからきており、略して「SP」とも。第一作は西河克己のデビュー作『伊豆の艶歌師』で、新人監督を起用して断続的につくられ、そのなかから小林正樹が『息子の青春』('52)、野村芳太郎が『鳩』('52)でデビューします。その後、松竹では「SP」路線こそ中止しますが、中篇映画の製作は継続し、『愛と希望の街』('59)で大島渚、『二階の他人』('61)で山田洋次らがデビュー。監督昇進への登竜門ともいうべき役割を担いました。
この、松竹「SP」に続いて、各社が中篇映画の製作を開始。1954年には東映が二本立てに踏みきり、併映用作品として「娯楽版」と銘打った続きものの中篇映画を製作します。『真田十勇士』三部作を第一弾に、『新諸国物語 笛吹童子』三部作、『里見八犬伝』五部作、『新諸国物語 紅孔雀』五部作などがつくられ、なかでも『笛吹童子』『紅孔雀』は子供たちの心をとらえて大ヒット。中村錦之助、東千代之介という新スターを生みだしました。
1956年に入ると日本映画六社がそろって二本立てを実施。東宝が「ダイヤモンド・シリーズ」と呼ばれる併映用中篇をつくりだしたのもこの年でした。千葉泰樹『鬼火』('56)を皮きりに、丸山誠治『憎いもの』('57)、山本嘉次郎『象』('57)、堀川弘通『琴の爪』('57)、筧正典『新しい背広』('57)など、新人ではなくベテランの監督を起用し、豪華な配役で、力のこもった作品を発表していきます。
さて、「添えもの」といえば、やはり歌謡映画。各社の併映用中篇にも歌と結びついた作品が多くみられます。なかでも日活は『夜霧の第二国道』('58)、『どうせ拾った恋だもの』('58)、『あン時ゃどしゃ降り』('58)、『チャンチキおけさ』('58)、『東京のバスガール』('58)、『西銀座駅前』('58)、『船方さんよ』('58)、『赤いランプの終列車』('58)――など、中篇の歌謡映画を量産。あの鈴木清順のデビュー作『港の乾杯 勝利をわが手に』('56)も、当時の流行歌手・青木光一の歌をモチーフとした添えもの歌謡映画でした。
松竹「SP」からはじまる併映用中篇映画の数々――。
もちろん量産時代のことですから、当たり外れはあるでしょう。
しかし、小品だからとあなどるなかれ。
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■上映作品